35年前の出張
1983年4月5日火曜日東北本線一ノ関駅
電子部品の営業マン時代でした。4月4日に出張に出ました。翌日午前中に水
沢の顧客に商談がありました。ビジネス手帳にはメモがありませんが多分、
夜行寝台での移動だと思います。指定券の保存アルバムを調べれば寝台券が
見つかると思うけど面倒。水沢で仕事を済ませ、帰りは一ノ関まで客車列車
に乗りました。記憶にないけど写真が物語っている。
その客車列車の写真です。
15:40 42レ ED75 152
沢の顧客に商談がありました。ビジネス手帳にはメモがありませんが多分、
夜行寝台での移動だと思います。指定券の保存アルバムを調べれば寝台券が
見つかると思うけど面倒。水沢で仕事を済ませ、帰りは一ノ関まで客車列車
に乗りました。記憶にないけど写真が物語っている。
その客車列車の写真です。
15:40 42レ ED75 152
この写真、変だと思いませんか?ED75につながるのは荷物車ばかり。後ろの
方に客車が3両位と見えます。
JTB時刻表1982年12月号を見ると色々判ります。普通列車は青森発744、仙台
着1835。頁の右端には「荷物列車」が4本掲載されてます。そこにも42レが
ありました。青森発は同じですが隅田川着○ヨ300です。混合列車?なので
した。仙台で客車を切り離すんですね。蛇足ですが一ノ関には19分も停車し
ます。
方に客車が3両位と見えます。
JTB時刻表1982年12月号を見ると色々判ります。普通列車は青森発744、仙台
着1835。頁の右端には「荷物列車」が4本掲載されてます。そこにも42レが
ありました。青森発は同じですが隅田川着○ヨ300です。混合列車?なので
した。仙台で客車を切り離すんですね。蛇足ですが一ノ関には19分も停車し
ます。
42レが一ノ関駅到着後隣のホームからED7541に牽かれた1537レが出発しまし
た。50系客車の様ですね。仙台発で青森まで10時間掛かります。左の青い旧
客が42レです。
た。50系客車の様ですね。仙台発で青森まで10時間掛かります。左の青い旧
客が42レです。
その旧客を大写し。スハフ42 2058でした。フなので車掌室の窓がある。
僕が水沢から乗車したスハフ42 2058の座席。窓が開く。小さいテーブルが
付いてる。灰皿がある。栓抜きは判らない。スチーム暖房器かな?肘掛は木
のようですね。
付いてる。灰皿がある。栓抜きは判らない。スチーム暖房器かな?肘掛は木
のようですね。
車内通路を撮った。扇風機がある。エアコンなんてあるわけない。最後尾な
ので渡りドアの窓が明るい。
ので渡りドアの窓が明るい。
デッキ部の床。勿論床は木製。配管むき出し。連結部の幌は蛇腹。
デッキ部上部はスイッチ箱。ドアの蝶番。走行中でもドアは手で開く。当た
り前だった。
り前だった。
翌日は、本宮へ行っている。仙台へ泊まったのだ。メモにあった。3人で仙
台パシフィックに泊まったとなっている。2人とは誰だったのか??技術部
の高坂課長と上司の古谷課長かな???(名前だしても時効ですよね)
追伸:上司の名前をなかなか思い出せなかった。老人力がパワーアップして
る。ははは。
台パシフィックに泊まったとなっている。2人とは誰だったのか??技術部
の高坂課長と上司の古谷課長かな???(名前だしても時効ですよね)
追伸:上司の名前をなかなか思い出せなかった。老人力がパワーアップして
る。ははは。