湯本の思い出
1994年8月26日金曜日常磐線湯本駅
当時は営業マンをやってました。湯本には担当する製品の工場がありました。
売上をどうやって伸ばすかというような相談やら、顧客がこんな仕様で作って
くれないかとの要望を実現するにはどうしよう?などのテーマで何回も訪問し
ていたものでした。
売上をどうやって伸ばすかというような相談やら、顧客がこんな仕様で作って
くれないかとの要望を実現するにはどうしよう?などのテーマで何回も訪問し
ていたものでした。
この日、湯本駅にこんな錆び付いた電車が放置されていました。
クハ481-2
クハ481-2
485系の一族だが先行して関西と九州で活躍した60Hz対応の481系を名乗ったま
ま50Hzの常磐線で一生を終えたのか?
もう一枚。
ま50Hzの常磐線で一生を終えたのか?
もう一枚。
番号からは60Hz用だけど、良く見ると「髭」を生やしてるし、スカートがクリ
ーム色だ。
車体の後半分。
ーム色だ。
車体の後半分。
2両目はモハ485のトップナンバーだった。485と組んで働いたんですね。
モハ485-1
モハ485-1
上野寄りの2両は乗車する列車が来てしまったので車番を確認できていません。
次回来た時に確認しようとなごりを惜しんで湯本駅を去りましたが・・
しばらく出張のチャンスがなく見かけたのはこの時、一度だけになってしまい
ました。
次回来た時に確認しようとなごりを惜しんで湯本駅を去りましたが・・
しばらく出張のチャンスがなく見かけたのはこの時、一度だけになってしまい
ました。