昭和47年の只見線 その2
1972年9月24日 只見線会津中川~会津水沼間の只見川第四橋梁
学生時代の友人の車で只見線へ出かけました。
写真とメモが残ってますが、僕の脳味噌にのこっている記憶は・・
仝羸門の会社事務所四階の窓から日比谷通りをのぞいて友人の車が来たかど
うかを気にしていた時。
⊃震訝罅日光街道(多分)の峠道で友人がふざけて走りながらライトを消した
事。数秒ですが驚愕!ガードレールもない砂利道でした。
A當、若宮駅がミルクの様な霧の中だったこと。
これだけ。後は全くメモリー蒸発。
写真とメモが残ってますが、僕の脳味噌にのこっている記憶は・・
仝羸門の会社事務所四階の窓から日比谷通りをのぞいて友人の車が来たかど
うかを気にしていた時。
⊃震訝罅日光街道(多分)の峠道で友人がふざけて走りながらライトを消した
事。数秒ですが驚愕!ガードレールもない砂利道でした。
A當、若宮駅がミルクの様な霧の中だったこと。
これだけ。後は全くメモリー蒸発。
さて、今日の記事は只見川第四橋梁です。この橋梁は2011年7月の豪雨で損傷
したが11月に復旧して会津川口までは運転を再開しています。今も会津川口~
只見間はバス代行のままです。
したが11月に復旧して会津川口までは運転を再開しています。今も会津川口~
只見間はバス代行のままです。
ネガ12 C11+ワフ+トトトト
上の写真の列番が判らない。今日書庫で見つけたダイアは1971年7月の「別冊
週間読売・日本の蒸気機関車」で本記事の最後の添付しました。これとネガ
順と着き合わせても辻褄が合いません。撮影日と1年違いますが・・
週間読売・日本の蒸気機関車」で本記事の最後の添付しました。これとネガ
順と着き合わせても辻褄が合いません。撮影日と1年違いますが・・
直後のカットがこれ。土手を降りて橋梁に近づいて撮っています。
ネガ13 C11+客車3両 428レか?
ネガ13 C11+客車3両 428レか?
連続で3枚です。水面の影を見ると1枚目のすぐ後にやってきたようです。
ネガ14 C11+客車3両
ネガ14 C11+客車3両
横から見上げて。
ネガ15 C11+客車3両
ネガ15 C11+客車3両
写真的に面白いのが客車の風景です。デッキのドアが開け放されて人が立って
僕を見下ろしているのが見えます。今なら転落事故誘発と大問題にされそうで
すが、当時はこれが普通でした。意外とお客が乗ってますね。連休中だからで
しょうか。
僕を見下ろしているのが見えます。今なら転落事故誘発と大問題にされそうで
すが、当時はこれが普通でした。意外とお客が乗ってますね。連休中だからで
しょうか。
1971年7月ダイア 出展:「別冊週間読売・日本の蒸気機関車」