東武鉄道非電化区間
1980年8月22日金曜日東武鉄道熊谷線
当時は電子部品の中堅営業マンだった。頑張って働いたと自負している。会社
側がどう評価したかはボーナスでわかるシステムだった。評価はもっと客観的
であるべきだと憤慨したこともある。おふぉん!話がついそれた。
側がどう評価したかはボーナスでわかるシステムだった。評価はもっと客観的
であるべきだと憤慨したこともある。おふぉん!話がついそれた。
深谷の大手顧客は殆どライバルに抑えられており、そこへ切り込むのが僕の目
標だった。ず~~~っと、目標だった。達成する直前に担当を変わった。なん
と言う事だと不満だった。その大手顧客も今や散々なことになっている。
標だった。ず~~~っと、目標だった。達成する直前に担当を変わった。なん
と言う事だと不満だった。その大手顧客も今や散々なことになっている。
夕方の帰り道にこんなところを訪れた。訪問した3年後には廃止になってしまっ
た路線である。
熊谷から上熊谷、大幡、妻沼(めぬま)の20分弱の走行でした。
妻沼駅 キハ2000(2両編成)
た路線である。
熊谷から上熊谷、大幡、妻沼(めぬま)の20分弱の走行でした。
妻沼駅 キハ2000(2両編成)
もう一枚 右側の車はレオーネか?
妻沼駅前広場。お~!ヤシ科のビロウが南国ムード。ポストに電話ボックス。
帰りの車内。立派なクロスシート。
熊谷駅に戻って連結部分をとったが、車輌番号のメモは残ってない。
その先は、秩父鉄道。車止めで行き来は出来ない。止まっているのはデハ800系
デハ801
デハ801
左の高架線工事は上越新幹線だ。1982年の開業だから工事真っ最中でしたね。
追伸
地元では妻沼線と呼ばれていました。利根川を渡り西小泉で本家東武電車と繋が
る事が夢だったようですけど大赤字で放棄されてしまいました。
1980年の時刻表では片道110円。結構カッコいい気動車でした。3両あったそうで
す。その後、忘れた頃に東船橋駅で1両見かけましたが、再度訪れたときには見
つかりませんでした。
幸い1両が妻沼町に保存されているそうです。
追伸
地元では妻沼線と呼ばれていました。利根川を渡り西小泉で本家東武電車と繋が
る事が夢だったようですけど大赤字で放棄されてしまいました。
1980年の時刻表では片道110円。結構カッコいい気動車でした。3両あったそうで
す。その後、忘れた頃に東船橋駅で1両見かけましたが、再度訪れたときには見
つかりませんでした。
幸い1両が妻沼町に保存されているそうです。