「Eタンク重連」
1966年(昭和41)8月25日木曜日三菱鉱業美唄鉄道
学生時代のことである。夏休みに消滅進む蒸気機関車を求めて渡道しました。
二週間に及ぶ遠征でした。ほとんどの旅程をHA先輩とご一緒しました。
二週間に及ぶ遠征でした。ほとんどの旅程をHA先輩とご一緒しました。
日程9日目(注:僕の遠征メモの方法が確立される前のため不明瞭)
旭川→深川→滝川→芦別→頼城→芦別→滝川→美唄→(岩見沢・推定)
旭川→深川→滝川→芦別→頼城→芦別→滝川→美唄→(岩見沢・推定)
美唄駅では強烈な印象を受けました。こんな蒸気機関車が働いていました。
三菱鉱業美唄鉄道の2号機と4144。
国鉄では4110形
三菱鉱業美唄鉄道の2号機と4144。
国鉄では4110形
石炭列車の組成が完了して出発待ち。
直ぐに出発しました。
考察:
WIKIで調べたら4144号機は1967年廃車となってます。
4144号機は奥羽本線板谷峠用に川崎造船所で新製。板谷峠電化で1949年に美
唄鉄道に譲渡。
2号機は美唄鉄道の自前で三菱造船所で製造。1972年廃車。美唄鉄道も廃止。
美唄市で保存されている。
尚、この4110形は人吉にも12両配属されていました。大畑越えに使われたの
ですね。吉松駅前の老舗菓子店に写真が飾ってありました。写真は4110形で
すが4100形と説明が付いてました。今度吉松に行ったらお店の方に4110形だ
と教えてあげなくては。
この機関車の先輩がドイツ・マファイ社からの4100型で、4両が国産化のサン
プルとして輸入されました。
WIKIで調べたら4144号機は1967年廃車となってます。
4144号機は奥羽本線板谷峠用に川崎造船所で新製。板谷峠電化で1949年に美
唄鉄道に譲渡。
2号機は美唄鉄道の自前で三菱造船所で製造。1972年廃車。美唄鉄道も廃止。
美唄市で保存されている。
尚、この4110形は人吉にも12両配属されていました。大畑越えに使われたの
ですね。吉松駅前の老舗菓子店に写真が飾ってありました。写真は4110形で
すが4100形と説明が付いてました。今度吉松に行ったらお店の方に4110形だ
と教えてあげなくては。
この機関車の先輩がドイツ・マファイ社からの4100型で、4両が国産化のサン
プルとして輸入されました。