こんなところに電車が
1996年12月31日茨城県稲敷郡江戸崎町
この年の大晦日、こんなところへどうして行ったのか覚えていない。まさか大
晦日の朝にこんなところをドライブしてるはずがないので29日の可能性が高い。
当時の手帳のメモが曖昧だ。
記憶では暫く前に家族ドライブで見つけて、後日一人で確認に行ったと僕のア
ナログメモリーが出力している。それも一回目の再訪時には見つからず、2度
目にやっとたどり着いた。更に数年して見に行った時にはなくなっていた。
この写真の三角の建物だけが残っていた。どこへ行ったのだろう?
写真を撮った当時、この蕎麦屋は既に営業していなかった。まだあるかな?
晦日の朝にこんなところをドライブしてるはずがないので29日の可能性が高い。
当時の手帳のメモが曖昧だ。
記憶では暫く前に家族ドライブで見つけて、後日一人で確認に行ったと僕のア
ナログメモリーが出力している。それも一回目の再訪時には見つからず、2度
目にやっとたどり着いた。更に数年して見に行った時にはなくなっていた。
この写真の三角の建物だけが残っていた。どこへ行ったのだろう?
写真を撮った当時、この蕎麦屋は既に営業していなかった。まだあるかな?
飲み食い処「東月庵」 茨城県稲敷郡江戸崎町沼田
裏が馬場になっていた。この道路はカントリーラインと表示があった。
一枚目の暗い自動車は我が家の二代目中古車で「福岡」ナンバーを誇っていた。
一枚目の暗い自動車は我が家の二代目中古車で「福岡」ナンバーを誇っていた。
奥の電車から見てみた。見覚えのある顔立ちだ。台車は履いていない。
モハ1005
モハ1005
角度を変えてもう一枚。
車体には車番が残っていた。
ドアが開いていたので入ってみた。吊革につかまると不思議な気分になる。
反対側の外にはつる草に巻かれて台車が見えた。
もう一両のモハ1004に近づいてみた。ちょっとショック。
悲惨な状態だった。
その後、電車が無くなったあとネットで調べたけどいわく因縁故事来歴は掴め
なかった。
なかった。